悪魔のような男
Rating---PG12
Pairing---NDN+V
Summary---
「フラーレン」のつづき。相変わらず中途半端な攻殻機動隊パロ。ゴースト=魂、みたいなもんです。人間にあってロボットにないものそれがゴースト。
Note---
兄の扱いが物凄く酷いです。ごめんなさい。赦せる方だけどうぞ。相変わらずゲーム本編の物語とは全く関連していないお話です。いわゆるパラレルが苦手な方はご注意下さい。




悪魔のような男
The Fiends


 ネロは先日例の革張りソファをぼろくずに変えてしまった45口径を握り締めたまま、ああどうしてこんなにおれの手は震えているんだろう、と苦しく思った。銃口は目の前に立つ男の額のど真ん中に狙いを定めているはずなのに、照準がかたかたとぶれる。脳に流し込んだナノマシンが劣化しているんだろうか。ジアゼパムが足りない。腕が痺れて来た。このままでは引き金を引くタイミングだってまともに測れそうにない。ネロは不意に銃を下ろし、その銃口をぐいと自分のこめかみに向けた。指までが震えている。制御の効かない指は遺言を呟く暇を与えてくれるだろうか。頼むからおれを冷凍庫に仕舞ったりしないでくれ。焼いて砂にしてどこかへ捨ててしまってくれ。この一発で死ねるだろうか。一発で脳幹を吹き飛ばせるだろうか。いやこの角度じゃ無理だ。少なくとも片手で横から撃つのでは無理だ、銃身を口に突っ込んで、そう考えたときにはネロは目にも留まらぬ早さで横っ面を殴りつけられてテーブルの上まで吹っ飛ばされていた。アルミでできていたテーブルのフレームが体の下でひしゃげた。曲がったフレームが肋骨に突き刺さった。45口径はくるくると回転しながら、そうまるで記録映画で見た今世紀初頭の宇宙飛行で船内で飛行士がくるくると回転させて見せていたスプーンのように、ゆっくりと飛んで視界から消えて行った。

「あんたは死なないのにおれは死ぬのか」
焼けるように熱い脇腹がどれくらいの傷になっているのか考えながらネロは呟いた。
「おれは死ねるのにあんたは死ねないのか」
脇腹が熱いのは怪我をしたからだ。組織が傷ついて、血管が破れて、血が溢れ出すからだ。
 死ぬさ、と男が初めて口をきいた。軽口を叩くことにばかり耳慣れた声だった。
「嘘だ。あんたのシェルの中には生の脳なんか入ってない」
「それでもシェルを潰すくらいの力がかかったら壊れる」
「おれは死ぬ。あんたは壊れる。修理されて戻って来る」
男は小さな子ども相手にするようにネロのすぐ傍らに腰を落としてしゃがみ込んだ。
「修理のたびにゴーストはコピーされ劣化する。永遠じゃない」
ネロは重い両腕を持ち上げてどこかへ差し伸べようとして諦め、そのまま腕で顔を覆った。
「あんたは」
あんたは何回目のコピーなんだ。昔は違う人間だったのか。少しは。少しは違う人間だったのか。少しは人間らしかったのか。痛みを恐れたりしたか。死ぬことを恐れたりしたか。自分は生きていると、信じていたか。
「俺のゴーストはまだ囁き声を失っちゃいない。大丈夫さ」
ネロは小さく笑った。
「ごていねいに何を囁いてくれるんだ?」
ダンテはいつも通り芝居がかった上に殊更勿体ぶった溜め息を吐いて、涙が出るほど優しい声音で答えた。
「助けてくれ、ってね」


 ゴーストのコピーは違法化されている。コピー元の脳が損傷を受け回復不能に陥るからだ。回復不能なまでにダメージが蓄積するコピー回数は不明。実行すればゴーストハックと同様に極刑に値する重罪だ。

 あんたのゴーストはあんた自身のコピーなのか?なぜ転送せずにコピーしたんだ。なにか突発的な事故でも?転送する暇がないほどの。でも元の脳は残っているんだろう。そこからコピーを続けている。なぜ?

 ダンテは黙ってブリーフィングノートを確認している。手元にあるのは随分と懐かしい型の液晶ペーパーだ。液晶ペーパーだろうがメモ帳だろうが、そんなことをする必要は本当はまったくない。ブリーフィングノートはリアルタイムでアップデートされながら電脳を通じて直接認識できる。ネロはふとダンテが齢百歳の老人のようだと思った。自分が若かった頃のやり方から離れられず、世の中がどんなに便利になっても古い道具や方法を手放せずにいる、老人のようだ。
「あんたは、どういう家で育ったんだろうな」
ダンテは不思議そうな顔でネロを見た。
「なんだ。俺が人間由来のサイボーグじゃなくてロボットだと疑ってるのか」
ネロは薄い唇を神経質そうに引き結んで男を睨みつけた。それから足元に転がっていた大きな黒いアタッシェケースを引き寄せながら、揺れる移送車の中で騒音に紛れないくらい大袈裟に舌打ちした。ケースの蓋を留めている金具を六ヶ所とも外す。乱暴に蓋を跳ね上げて装備を確認した。長い銃身を横たえたライフルと照準器、補助脚が丁寧に収められている。ボルトアクション式の対人狙撃銃だ。黒々と重たげに光る高価な武器を目の前に、ネロは改めて、むかつく仕事だと思った。どこだかも知らない内紛に揺れる遠い国の大使館が武装した革命支持者によって占拠された。国際世論の手前、軍の特殊部隊が突入を渋っている。汚れ仕事だからむかつくわけじゃない。後方支援が気に入らないだけだ。手動装填のスナイパー・ライフルでぷちぷちと豆でも潰すみたいに人の頭を撃ち抜くだけの仕事がむかつく。全員ヘッドショットで殺してやる。一番むかついた奴の死体に余った弾を全部ぶち込んでミンチにしてやる。カートリッジが収められたケースを開けてみて、畜生と呟いた。弾までケチりやがって。
「坊や、苛々するのはよせ」
「あんたのせいだ」
「俺が昔話をすれば落ち着くのか?」
ネロは鼻で笑い、排莢と装弾のレバーを何度か動かした。
「そうだな、おれは孤児だったから、あんたを育てた素敵な家族の思い出でも話してくれればいい気持ちになるだろうな」
 ダンテは組んだ膝に肘をついてしばらく頭を引っ掻いていたが、ややあって、口を開いた。昔々、と例のお伽噺を始めるのにお決まりの調子で。


 スコープの照準がぶれる。ネロは目を眇めて何度も照準器を睨み、毒づいて、頭を振った。こんな仕事は嫌いだ。引き金を引いて五十メートル先で標的の頭部が破砕する。血の臭いがしない。代わりにやたらと硝煙と金属の焼ける臭いが鼻につく。こんな仕事は嫌いだ。完全に包囲されたままの大使館の建物はサーチライトで外壁が明るく浮かび上がっている。くそったれライトを消せ、とネロは怒鳴った。外階段で見張りに立っていた歩哨を二人殺したが残りの武装兵はすべて館内だ。既に送電が止められていた館内は真っ暗で、外からの照明が余計に内部を窺うことを邪魔している。
 『了解、15秒後にすべての外部照明装置を停止する。照明を停止すれば作戦の発覚は時間の問題だ。スナイパーは後方支援に移行、人質の射殺を許可する。』
 ネロは補助脚を蹴飛ばし、重さ四キロのライフルを肩に担ぎ上げると、次の狙撃ポイントまで一気に走った。後方支援。嫌な仕事だ。人質の射殺。嫌な仕事だ。前衛のサポート。嫌な仕事だ。仕事のできない前衛など知ったことか。住民の退去したマンションの非常階段を駆け下り、隣棟に走り込む。大使館の東側には正門とは別の通用口がある。バリケードで封鎖されているが武装集団が侵入したのはこちら側だ。大使館自体に防衛上何らかのほころびを見つけようとするならここしかない。ネロは階段の柵に銃身を固定し、コンクリ床に伏せて姿勢を定めた。一瞬のちに照明が落ちて辺りが真っ暗になる。スコープに押し当てた目を見開く。暗視システムが鮮やかなグリーンで視界を描画する。軽い銃声が聞こえて来る。自動小銃のような軽くて連続的な音だ。それから続いて別の重い銃声が断続的に混じる。ばかでかい口径のマグナムだ。テロリスト向きじゃないな、とネロは思う。照準器越しに通用口を睨む。銃声を数える。3、4。ややあって5。間。複数の叫び声。6、7。8。切れた。
 通用口の鉄扉が開く。照準はぴたりと合っている。人影が出てくる。大柄な男だ。もう一人負傷者らしき人間を肩に支えている。脳が零度に冷やされたジアゼパムの溶液に沈められているように感じた。何もかもが無慈悲なほど冷たく透き通っている。脳から引き金にかかった指先までの神経も。横隔膜と肺と気管と鼻腔に至るまでの空気も、そのリズムも。負傷者は人質になっていた大使館職員だ。白いシャツが血で染まっている。それを支えているのはあの男だ。
 ネロはスコープの照準をゆっくりとダンテの頭に合わせた。何もかもが透明だ。世界がすべて自分の体まで透き通って感じる。穏やかな顔をしている、と思った。この照準器から見る顔はいつだってどれも緊張していた。死の恐怖に怯えて強張った醜い顔ばかり狙って来た。だから黒い十字の中心にあるダンテの表情が不思議に浮き上がって見えた。穏やかで、きれいな顔だ。ネロは無意識に吸い込んだ息を無意識に吐いた。呼吸をするように引き金を引いた。通用口の鉄扉から三歩進んだところで、人質を射殺した。


 昔々、あるところに戦争が起きました。きれいな村にたくさんの兵隊が攻めて来て、たくさんのひとが死にました。兵隊の中に立派な将校さんがいました。将校さんは、きれいな村の罪もなく武器ももたないひとたちを殺すのは、いけないことだと思いました。将校さんは自分の軍隊を裏切り、きれいな村と村のひとたちを守りました。やがて戦争が終わり、村のひとたちは将校さんを村に迎えいれて、ともに暮らしました。将校さんはきれいな村のとてもきれいな女の人に恋をしました。女の人も将校さんを好きになりました。ふたりは結婚しました。ふたりの子どもが生まれました。ふたごの男の子でした。家族はきれいな村で末永く幸せに暮らしました。


 「どうして殺した」
ネロは殴られて切れた唇を拭い、血の混じった唾を吐き出した。顔を擦った手の甲にやたらと血が付く。多分、鼻が折れている。顎も落ち着かない。奥歯が浮いているような感じがする。抵抗はしなかった。口答えもしなかった。黙って殴られていると、ダンテはじっと自分を見上げて来るネロの前で苦しそうに目を伏せた。逃げやがって。他に責める言葉の持ち合わせがないような振りまでして、逃げやがって。こんなときばかり右腕がひどく無機的で重く感じる。なんで右腕だけなんだ。全部取り替えてくれ。ガソリンを飲んで生きていきたい。集積回路でできた脳に記憶だけコピーして欲しい。ゴーストなんかくれてやる。コピーでもなんでもすればいい。欲しいやつに与えてやってくれ。劣化した魂に苦しんでいるロボットに与えてやってくれ。
 「あんたを撃とうと思った」
絞り出した声は乾燥した喉にざらざらと擦られてしゃがれていた。
「あんたを殺そうと思った。でもあんたが」
あんまりきれいな顔してたから、そう言ってネロは笑った。なんて言い草だ。乾き切って声にならない笑いが止まらなくなった。床に力なく転がったまま胸だけを喘がせて笑った。床に立てた爪ががりがりと削れて欠けた。
「なあ。あんたの兄弟は、いまどうしてるんだ」
双子の兄弟がいるんだろう、美人のママと立派な軍人のパパ、羨ましい、いい家族だな、家族ってどんなものなんだろうな、兄弟がいるとやっぱり楽しいのか、それとも孤児院の隣のベッドのガキみたいに憎らしくて殺したい感じがするのか、想像もつかない、だけどきっといい家族なんだろうな、あんたの家族だから。
 ネロは口を噤んだついでに目を閉じた。瞼の裏側に血と同じくらい熱い物が溢れ返って喉の奥の方へ染み込んでいった。
「いい家族だった」
ダンテがすぐ傍らでそう呟くのが聞こえた。
「もう昔のことだ」
ネロ、と名前を呼ばれて瞼を薄らと持ち上げた。視界が変にきらきらしていた。睫毛についた水滴の反射だ、とぼんやりと思った。
「兄貴は死んだ。俺が殺した」
「おれだって隣のベッドのガキは本当に憎かったぜ。今考えても殺してやりたい」
「後悔するから止せ」
「するわけない」
「俺は死ぬほど後悔した」
「じゃあなんで殺したんだ」
家族の記憶をダビングしてくれる業者を捜そうか。それでこの寂しそうな男とおれは叔父と甥っ子なんだという記憶でも植え込んで貰おうか。
「俺のゴーストは兄貴のコピーだ」

 ネロはどこか深く暗い場所で脳を機械に繋がれたまま冷たくなっていくだけのこの男の双子の兄弟のことを思った。そして、どうしていつも神様は悪魔のような所行を赦してまで、人間を生かしておこうとするのかと俄に悲しくなった。