Fullerene
Rating---R(出血表現) Pairing---ND Summary--- 中途半端な攻殻機動隊パロ。血だらけになって人間の証明ごっこ。 Note--- ゲーム本編の物語とは全く関連していないお話です。いわゆるパラレルが苦手な方はご注意下さい。個人名、団体名、地名、施設名含めてすべてフィクションです。 Fullerene フラーレン 「どけよ、そこ。錆びるだろ」 ネロはそう呟いて、金属製フレームでできた年代物のベンチに仰向けに寝転がったダンテを小突いた。これはこの男が旧市街のスラムのつまらない古物商から買って来たがらくたのうちの一つだ。半世紀くらい前の代物で、既に水没した戦前の有名な公園に置かれていたものだという話だったが、そんなことはどうでもいい。なぜならこれがこの家で唯一の椅子なのだ。ついこの前、これまた年代物だった革張りの立派なソファは穴だらけにされて再起不能になってしまった。ばかでかい四十五口径の穴は全部座面から背中まで貫通していて、詰め綿が全部飛び出して、縫製が切れてばらばらになってしまって、まるでめちゃくちゃに解体したような姿だった。 ネロはむかむかしながら仰臥している男の胸ぐらを右手で掴んで引っ張り上げ、自分より上背があって体格もいい相手を軽々と床に放り出した。こういうときばかりはリミッターの外れている規格外の右腕が愛おしい。ネロの体のうち、義体化されているのは右腕だけだ。少なくともそう知らされている。 べっとりと赤い粘着質の液体がへばりついた手のひらとベンチを交互に見て、ネロはクソが、と毒づいた。 「錆びるわけないだろう。俺の体はどこをとってもセラミックと機能性高分子ゲルだぞ。電解質は使われてない」 「じゃあ金輪際ピザなんか食わないでガソリンでも飲んでろ」 呻きながら半身を起こしたダンテは一見血みどろになっている上着をつまみ上げて、次にネロを見上げ、丁寧に肩を竦めた。 「残念ながら人間としてそれなりの味覚が搭載されているもんでね」 「うるさい。黙れ」 一蹴すると今度は瞼だけの反応になった。それはそれで不愉快だった。 「黙ってあんたの土手っ腹に空いた穴から垂れ流した高分子ポリマーを拭け。床這いずって拭け。そうしたら───」 「ポリマーじゃない、これは酸素錯体だ」 ネロは赤いねばねば塗れになっているダンテの腹に力一杯爪先をねじ込んだ。 リミッターが外れたのは任務中の事故だ。製造していた義体メーカーが倒産していたため型の合うリミッターが手に入らなかった。そもそもが特注だった右腕は他のパッチを充てることもできず今に至る。別に困ってはいない。握手をするような仕事はしていないし、金がなくて立派な義体を買えずに機械の腕を晒して歩いている人間がたくさんいる世の中で、この腕だけが特に奇異なわけでもなかった。手入れだって楽だ。不透明な被覆材で覆われていないので具合の善し悪しもすぐ分かる。何も問題はない。 ダンテは上半身裸になって床に座り込み、腹の銃創がぷちぷちと音を立てて自己修復していくのを面白そうに眺めている。こいつは自分で感覚神経のチャネルをいじって手を加えているに違いない。神経のプログラムを直接改変することは素人にはできなくても、チャネルを調節して感覚を鈍麻させてしまうことはそんなに難しくない。おおよそ人間らしくないダンテの姿を見ているとネロはときどき吐き気をもよおす。ネロは人間だ。少なくとも人間でいようと努力している。 「あんたが寝てる間にAδ繊維の感度を最大値まで上げておいてやろうか」 もうすっかり塞がった皮膚を撫でながらダンテは小さく首を傾げた。 「もうMAXまで目盛りいくつもないぞ」 「嘘付け。そんな感度で腹撃たれて正気でいられる奴がいるか」 「Aδ繊維だけ上げておくんだ。代わりにC繊維を落としておけば、どこを撃ち抜かれたってそんなに気にならない」 「どっちも落とせばいいだろ」 「それはな、」 にっと笑った顔を見て、ネロは絡むんじゃなかった、とうんざりした気分になった。この笑いは不愉快な答えが返って来る前触れだ。この顔でにやにやされるまで気付かずに絡み続けてしまう自分にもうんざりする。 「いい。言うな。気持ち悪い」 「そうか?」 ネロは腕を組み直し目を背けて吐き捨てた。 「あんたは何もかも気持ち悪い」 「そう言わずに楽しめよ」 「何を。痛みを?」 「そうだな、自由になるものなら何でも」 「自由なんか数えるほどもないじゃないか」 そうだな、と殊更優しい声でダンテが答えた。そんなときこの男は本当に酷く優しい目をして自分を見るので、ネロは遠くに視線をやったまま唇をきり、と噛み締めた。 六歳のときに腕を失った。事故だったと記憶している。孤児だったネロには義腕など望むべくもなかった。十二歳のとき、自衛軍大学校に飛び級で合格し、奨学金を得た。右腕も用意された。セラミックフレームに分子モーターを利用した人工筋肉を取り付けた、当時最新鋭の義体だった。ただし、それは国からの貸与という形を取っていた。ネロが公僕である限り貸し与えられる右腕。右腕のために戦時中は前線を点々とした。戦争が終わると内務省の公安警察に配属された。右腕には常に最高性能の製品が支給され最高水準のメンテナンスが施された。右腕は役に立ち続けた。ネロは次第に、右腕と自分のどちらが必要とされているのか分からなくなった。右腕を返却する旨を申請すれば自由になれる。右腕がなくとも死ぬわけではない。だがこの右腕を持っていない自分にどんな価値があるのかネロにはもう分からなかった。知り過ぎた自分が背広組としてもう一度軍で働くことなど許されるわけがない。もしかすると返却など最早できないのかも知れない。多分、右腕を返すのは死ぬときだ。右腕は回収され残りの肉体が墓穴に埋葬されるだろう。生きている限りこの右腕はネロにつきまといネロを公僕に縛り付ける。 公安警察内では複数の課を点々とした。辞令による転属よりも問題を起こして追い出される方が多かった。どこへ行ってもつまはじきにされるように行動した。ネロにできる精一杯の自殺行為だった。最後に行き着いたのが内務省直属の私服という立場だった。一人の同僚が紹介された。その男以外に同僚はいなかった。男の名はダンテ。本当の名なのかどうかまだ知らずにいる。 ネロは左手で丁寧にダンテの右腕を摩り血管を探した。無論右手にも精巧な神経が張り巡らされている。恐らく運動神経の伝達速度は左より良い。だが生身の皮膚で触れたかった。どうといったところはないが、きちんと鍛えられた形をした成人男性の右腕だ。肌の色はネロほどではないけれど大分白かった。青や紫色をした太い血管が肘から下で一度深く沈み手首の手前でまた露になっているのがよく見えた。やはり手首が一番いい。ネロはダンテの右手首を掴んで鋏を当て、一息に刃を閉じ合わせて断ち切った。ぶつりという鈍い音がして何本もの筋と血管が切れた。血と見まごう真っ赤な液体が勢い良く噴き出して来る。機能も同じで色も同じなのだから血と同じ物だ。それ以外の定義など目には見えないし触れても分からない。ぬるつく血を拭い、鋏で断った部分を抉った。セラミックの骨に傷はついていないが、筋を切ってしまったので手首がぶらぶらになってしまっている。血まみれの指先を二本ほど口に含んでみた。匂いと味も血とよく似ていて、温かかった。ダンテの顔を見ないまま、ネロは血が溢れ続ける手首を自分の鎖骨に押し当てた。温かいのを通り越して熱い。体温だ。血の温度は体温と同じだから体表面の温度よりずっと熱い。その感覚が愛おしい。その感覚ばかりが愛おしい。熱いものが裸の胸を下腹部まで伝い陰毛に絡まりながら性器を濡らして劣情を煽る。一方で、男の腕を肩へと流れて首まで汚し、同じ熱さで床と男の背中の間に溜まって行く。 「そこを切られると、指が動かせない」 ダンテがしゃぶられるままの指をもどかしげに呟いた。 「おれはここがいい」 ここを鋏で切ってやるのがいい。そう言うとダンテは低く喉で笑った。 「ここだけじゃなくって、関節が動くところみんな切ってやりたい」 「動けなくしたいのか」 「分からない」 は、と吐いた息が血の抜けて真っ白に冷えた男の手に湿り気を与えた。手が冷たすぎて、息が熱すぎる。少しずつ傷が自己修復を始める。ネロは手首を放り出し、もう一方の手首を掴もうとして逆に手を取られた。 「なんだよ」 「自分の手首は切らないのか?」 ネロは相変わらず目を伏せたまま視線を泳がせた。床にしみ込んだ血が濁って色を失い始めている。血ではない。リピドヘムで造られた酸素輸液だ。この男は骨も皮も血もすべて人工物でできている。記憶だけがオリジナルだ。記憶は彼が人間であることを証明する。けれど記憶さえこの世界では複写できるのだ。記憶もゴーストもネロの目には見えない。ネロは目に見えるものを信じる。この男が赤い血を流す人間の形をしていることを、信じている。 「借り物はわざと傷つけたりしない。あんたと違って」 「俺のだって借り物なんだぞ」 ネロは俄に顔を上げてしまい、失敗したと思った。男は酷く優しい目でネロを見ていた。汚れた床に無下に押し倒された挙げ句に腹の上にのしかかられ、鋏で手首を半分近く切断されている人間の目ではなかった。気持ちが悪い。吐き気がする。 「知らなかった」 「そうか」 まあ良かった、とダンテはつい先ほどまで千切れかけていた方の手を持ち上げ、少しずつ指を動かして筋が繋がり始めているのを確認すると、その指先でネロの頬を撫でた。 「何が良いんだ」 ダンテは答える代わりにネロの薄い唇を親指でなぞった。ネロは間髪入れずにその指に噛み付いた。力任せに噛んだので前歯が骨に当たって痛んだ。肉の裂け目を舌で探る。溢れて来たものを啜って飲み込んだ。相変わらず熱い。 「面倒だから噛み切るのはなしだぜ」 ネロはぷっと音を立てて親指を吐き出し、不意に頽れるようにダンテの喉に顔を寄せた。頸動脈に鼻を擦り寄せる。我慢できない。ダンテが喉を食い破られるまいとネロの頭を掴んで引き剥がした。代わりに唇をむさぼり合う。お前の血とは味が違うな、という呟きにネロは聞こえない振りをした。 |